2006-04-02

僕らの選択

HBSに在学中の友人keiさんが、blogの中で授業で扱ったケーススタディを紹介している。コメント欄でやりとりしてたのだけど、本題から外れる&長くなりそうだったので、こっちに書くことにします。ちなみに、ケーススタディというのはビジネススクールで使われる授業の手法の一つで、状況やシチュエーションをまとめた資料を読み(大概物語風になっている)、「自分がこの話の登場人物だったらどのように考えるか、どのように判断するか」を議論しあうという方法のこと。

ケースの概略はこんな感じ。


「マーサの嘘」というそのケースは「個人の倫理観」と「周囲(会社)からの期待」の間で悩む女性が主人公になっている。クライアントから要求された事項を調査するために、違法ではないが嘘をついて同業他社に話を聞く必要に迫られる(「競合会社からの依頼で」とは言わずに「新しい会社を作ろうとしているクライアントのために」ってな感じで)。自分の行動に疑問を持ったマーサは上司に相談するが、上司は彼女をけしかけるばかり。「みんなやってることだ。気にすることはないよ。この案件が成功すれば君は昇進、昇給だ」

さて、あなたがマーサだったらどうする?というのがこのケースのテーマ。妥協すべきか、いやおかしいと思ったら会社を辞めるべきか、会社に立ち向かうべきか。授業ではこの部分で議論がおこなわれた、ようだ。最終的にマーサは、いろいろな人に相談した後、辞表を提出する、という結論になっている。興味のある方は是非リンク先をお読みください。

このエントリーを読んで、私はこんなコメントを書いた。

たとえば、マーサが家族や子供を抱えていて今の収入を失うと家族が路頭に迷う、 というような制約条件がついていたら、どんな議論になったのか、ちょっと興味 があります。

私は今のところ独身で、両親も健康でお金にもそれほど困っていないから、自分 がマーサの立場だったらおそらく同じ結論に達するでしょう。ただ、もし自分に 「自分の倫理観やプライドを捨てても守らなければならないもの」があったらど うするだろう・・・ということを、時々考えてしまいます。


実際にそこまで「究極の選択」な状況が発生しうるか、というのは確かに疑問だ。 会社を辞めて多少給料が下がっても、次の職を探すことはそう難しくないかもしれない。自分の倫理観と守らなければいけないものをうまく両立させる方法だって見つかるかもしれない。いやそもそも、上で書いたように今の自分はそんな「究極の選択を迫られる」立場から程遠いにもかかわらず、ついついそんなことを考えてしまうのは、基本的に「世の中に“絶対”はない」というのが考えのベースになっているからなんだ、と思う。

さて、それに対するkeiさんのコメント

でもそうして自分にも人にも嘘をついて、家族を支えて、本当にしあわせなんでしょうか?

ここでは、運命と戦えと教わります。全てが素晴らしい場所にいられる人ばかりではない。なにかは妥協をしながら、生きていかなければならない。それはよくわかります。でも、自分との約束を守らず、言い訳をしながら続けていると、やはりどこかで無理は来るし、自分の責任を果たせないでしょう。

そのときに、胸を張って家族のために嘘をついているのだと言うことができれば、それは救いなのかもしれません。僕も結婚していないので、正直、そう問うことしかできません。


この議論に正解はないのだろうし、時とともに自分の考えも変わっていくのだろうと思う。そして、「運命と戦え」という言葉も、全く持ってその通りだと思うのだ。ただ、それでも自分の中に割り切れなさが残る。それは、胸を張って「自分の倫理観を優先するために仕事をやめる」とも「家族のために嘘をつく」とも言い切れない、自分の中の割り切れなさだ。この気持ちにケリをつけるためにはどうすればよいんだろう、そんなことをしばらくの間考えていたのだ。

未だ持って自信も確信もない。ただ、いろいろ考えながら思ったことの一つは、いつかどこかで「究極の選択」に直面することが避けられないのであれば、私は「戦うための武器をなるべく沢山身に付けたいなあ」ということ。それは例えば、嘘を奨励する上司を説得できるだけの力量であったり、あるいは自分の倫理観を守って退職という選択肢を選んでもなお、きちんと家族を守っていけるだけの自分の力量やマーケットからの評価であったり。言い換えれば「選択肢を増やすため武器」とも言えるだろうか。究極の選択を迫られた状況において、そこから脱出するための「もう一つの選択肢」を示せる、そのための武器。

結局のところ、留学しようなんて思ったのも、この「戦える武器」をなるべく沢山身に付けたい、と思ったからなんだろうね。不確かな世界で戦っていくための武器、と書くとなんだか悲壮感が漂うけど、実際のところはそんな追い詰められたものでもない。どちらかというと、冒険に向けた準備、って感じか。マテリア沢山あつめとこう!みたいな。

途中から本題のケースの話とは随分離れてしまったけれど(そもそも、そういう選択肢がないことを前提に、どう選択すべきか、を考えるケースなんだろう、きっと・・・)、そんなこんなで随分と考えさせられるエントリでした。

(以下は完全に余談)
もう一つ考えたこと。例えば逆に、自分が「守られる家族の側」であったらどうするだろう?例えば大きな病気にかかっていて、その治療のために定期的に大金が必要だ。自分の親は自分を守るために、自分に嘘をついて仕事をしている。もしそんな状況だったら、自分はどうするだろう?

6 comments:

Anonymous said...

うーん、ビジネスって結局お金を得るということに尽きますが、そこに至る経路には正解が無いし、自分にとっての選択はその都度、変わってゆくので、その時出した選択がその時できた最善の選択なのだと思います。家族とか経済状況とか、嘘をつく事による将来的なリスクをその時に天秤にかけて出した結論なので、それに納得できれば、どんな選択肢でも良いのかなと思います。
でも、そのケースの詳細はしりませんが、個人的な経験で言うと、できないことは「できません」と素直に言った方が逆にお客さんの信頼を得られることが多いですけどね(笑)。

Anonymous said...

とりぞうさんの提案を含めた「マーサの嘘」はまさに、姉歯元一級建築士の一件とそっくりですよね。
姉歯さんの場合は、結局、職も収入も失った上に、奥さんの自殺という悲劇に至ったわけだけど・・・
幸せ云々より生きて行かなきゃいけない現実に直面しているかどうかが、決断に大きく影響を与える気がしますね。

torizou said...

>ざっくさん

>>できないことは「できません」と素直に言った方が逆にお客さんの信頼を得られることが多いですけどね

あ、確かにそういう面はあるかも!

納得できればよい、というのは確かにその通りだと思います。ただ、「自分を納得させるためにどんな手法を使うか」は結構重要かなあ、と思うのです。段々自分の中の感覚が麻痺してしまって、最初の頃と比べると明らかに無茶な理論で自分を納得させたりしてしまうと怖いよなあ、というのも。

torizou said...

>ちぃさん

姉歯さんもあの場で「そんなことを強制されるならこの仕事は受けない」と言える立場にあったら(例えばそう言っても他から仕事がとれるだけの人脈やら力を持っているとか)、あんなことにはならなかったのかなあ。建築業界の現状を見るとそれはむずかしい(というかありえない?)ような気もしますが。

「生きていかなければいけない現実に直面すること」って普段はほとんど意識しないけど、実は誰でもそういう状況に陥る可能性は十分持っているように感じます。

Anonymous said...

tori-san

同時に配られた副読本です。
よかったら読んでみて。

http://harvardbusinessonline.hbsp.harvard.edu/b01/en/common/item_detail.jhtml;jsessionid=SIZDDLCLNRWASAKRG5DCELQBKE12GISW?id=304070

Voiceというオプションを狭く捉えてはいけない。上司を説得することからSECや警察へ連絡することまで、オプションはたくさんあるし、自分の能力と、選択した結果のインプリケーションに応じて正しいチャネルで変革を起こすこと。

自分が達成したいゴールが何かということをいつも明確に考えながら、理性と意思を強く持って変革をリードすることが、リーダシップだと語られています。

このLCAというコースは、経済性、適法性、倫理性の3点から物事を照らし、株主だけではなく顧客・従業員・社会など、多様な関係者にに対する責任を果たす戦略(=企業の行動のセット)を見つけることを目的にしています。持続する価値創造の仕組みとは、こうした点をクリアーにしている企業だという考えが根底にある。

そんなの奇麗ごと?でもビジネスでも、こうした奇麗事が少なくとも存在して、しかも長く続く企業は、このバランスをきちんと取った企業だというリサーチがされているのは、僕の中ではうれしいことでした。

torizou said...

keiさん
どうもありがとうございます。面白そうですね。読んでみます!

>自分の能力と、選択した結果のインプリケーションに応じて正しいチャネルで変革を起こすこと。

とは、全くその通りだと思います。

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