2008-02-24

オタク in USA

ルームメイトの韓国人Heavenは、かなりのマンガ・アニメ好き。私の部屋にあるのだめカンタービレを見つけては「あ、ノダメだ!今どこまで話が進んでるの?私千秋がコンクールで優勝するところまでしか読んでないの!」と日本語の最新刊を恨めしそうに手に取り、働きマンを見ては「これは読んだことないけど、この作者の別の話は読んだことあるわ(おそらくハッピーマニアだと思われ)」とのたまう(さすがに絶望先生は読んだことがなかったようだ・・・・)ちなみに一番好きなアニメはエヴァらしい。

韓国で日本の文化の輸入が正式に認められたのは2000年ごろからだけど、それ以前からアンダーグラウンドで出回っていたマンガ・アニメを入手しては楽しんでいたそうだ。韓国では、日本のマンガを輸入する際に、主人公の名前を韓国名に変えたりすることがあるそうだけど、非合法のだと翻訳によってその名前が違ったりして、大変だったのよ、と彼女は言う。「スラムダンクを読んでたときなんて、翻訳のバージョンが3つあって、全部名前が違って追いかけるのが大変だったんだから」。わざわざ名前を翻訳しなくても・・・と思うけど、そこは一言では片付けられない事情というのもあったりするのだろう。

Heavenは私の部屋の棚にあるマンガを見て、冗談混じりに人のことを「オタク、オタク」とからかう。ま、オタクは認めますが、でも今私の部屋にあるマンガなんてせいぜい30冊程度だよ、こんなの日本で「マンガを読む人」の平均からしたら、とんでもなく少ないよ、数十冊レベルじゃなくて普通に100冊、200冊っていうレベルだよ、と反論。韓国では、日本のマンガはとてもポピュラーな娯楽だけど、実は買って読む人は結構少なくて、マンガ喫茶で読むのが普通らしい。気に入ったマンガは家においておいて、好きなときに読み返したくならないのかなあ、とたずねたけれど、「買うのではなくマンガ喫茶で読む」が普通の読み方として定着してしまうと、そういうもの、と思ってしまうようだ。「でもそういう読み方だと、作者に対する印税だって少なくなっちゃうだろうし、そういうのもなかなか韓国から漫画家が育っていかない原因じゃないかとも思うのよね。これだけ日本のマンガが大量に輸入されているのに、なかなか韓国の漫画家で面白い人は出てこないもの」なるほど、確かに。マンガを「買う」習慣がないと、「自分でもちょっと書いてみよう」という次のステップには進みにくいだろうし、そうした「自分で書こう」と思う母体が少ないと、なかなか漫画家を育てるのも難しいんだろうなあ。

さて、今期取っているGame Theoryの授業のスタディグループは、このHeavenと日本人のI氏、それにインド人のRajiと私の4人。授業の後に一緒にランチしたりするのだけど、HeavenとI氏(この人もまた日本からamazonでマンガを取り寄せている結構なマニア)と私が集まると、何故かついついマンガの話に。マスターキートンは何話が神だとか(私は「砂漠のカーリマン」だと思うんだ)、いやでもマスターキートンもいいけど、私はMonsterの方が好きよ(by Heaven)とか。インド人のRajiは「Mangaとは何だ?それはComicとは違うのか?」という程度の認識しかないごく普通のインド人で、ついつい加速する我々の会話に時々呆然としている。ついこの間も、ランチをとりながら何故かデスノートの話になり、こんな会話が。(以下、ネタばれ防止で一応文字を反転させておきます)

Heaven「デスノートは面白いんだけど、最後の方は話がこんがらがりすぎてちょっとね。個人的には初代Lが死ぬところまでがよかったなあ。その後の3人のLが出てくるところとかは話がややこしくなりすぎたた感があるよね
私「ちょっと待って!私
初代Lが死ぬところまでしかまだ読んでないんだから、こんなところでネタ晴らししないで!」

かなり全力で叫んでしまう私、横で笑い転げるI氏、こいつらは何を盛り上がってるんだ?と不思議な顔をするRaji。行われている会話が全て英語であることを除けば、一体ここはどこの日本の大学だ?というような風景に。

いやあまさか、アメリカで韓国人に英語でデスノートのネタ晴らしをされそうになるとは思ってもいなかったよ。人生いろんなことが起こるなあ(笑

月明かりの雪景色

さて、先週末はヨセミテに行ってまいりました。サンフランシスコから車で約5時間の位置にあるヨセミテは全米でも有数の国立公園。氷河に削り取られたU字谷の中に、半円形の巨大な岩ハーフドームや、切り立った岸壁エルキャピタンなどの見所が点在。園内にはキャンプ場やさまざまなトレッキングルートも整備されており、アウトドア派にはたまらない場所だ。

実はヨセミテには昨年の秋に一度行っている。学校のRed Wood Clubというアウトドア部が主催するキャンプ。2泊3日でヨセミテでキャンプ、昼間は好きに遊び、夜はとりあえず火を囲んで飲もう、という。ちなみにそのときの写真はこちら。

http://picasaweb.google.co.jp/torizou/200710Yosemite

数ヶ月前に行った場所を再び訪れる目的は何かというと、この時期になると雪に覆われる(もうちょっと融けかけだけど・・)ヨセミテの雪原を、スノーシューを履いて歩こう、というもの。とりわけ、満月が近づくと、夜間であっても月明かりで雪原が照らされ、幻想的な風景を目にすることができる、という。

ヨセミテ内のスキー場の麓から(小規模だけどヨセミテにはスキー場があります)、かんじきにも似た形の金属製のスノーシューを履いて、雪をざくざくと踏みしめながら歩くこと数十分。小さな丘を登りきると、遥か遠くに、ごく小さくではあるけれど、ヨセミテの見所ハーフドームが見える場所に到達。



日没少し前に到着し、そのまま日が沈むのを待つ。ヘッドライトを消してしまえば、人工の明かりはひとつもない、耳が痛くなるほどの静かな世界。しかしそれにしても寒い。気を紛らわそうと、とりとめの無い話をする。突然誰かが「悟空のしっぽって、あれいつ取れたんだっけ・・・・」などと言い出す。満月→満月で変身する悟空、という発想だったらしい。なんじゃそりゃ。しかし何故かそれをきっかけにドラゴンボールネタで盛り上がる。ヨセミテまできて、一体我々は何をやってるんだか・・・・



ようやく日が沈む。あたりは予想以上に明るい。ヘッドライトなしでも、それほど不自由なく動き回れる位に。満月に近い月の明かりが、一面の雪原に反射しているからだろう。驚いたことに、月明かりで雪原の上に人の影ができている。それがこの写真。これ、フラッシュ無しで高感度(ISO800か1600かぐらい)でとってます。



月明かりの影、なんてもの、こんなにはっきりと目にしたのは初めてかも。

その他の写真はこちらから。
http://picasaweb.google.co.jp/torizou/200802_

【南米その2】空中都市

マチュピチュへのルートはごく限られていて、ほとんどの人はクスコから列車に4時間ほど揺られ、遺跡の麓のマチュピチュ村に到着する。観光客向けの完全な独占路線。故に、あくまで、ペルーの物価水準からすれば、ではあるけど、高い。片道約60ドル。でもまあ、高いだけあって、列車の造りはしっかりしていて、乗務員もちょっと一昔前の長距離列車風な制服に長い外套で、それなりに雰囲気はある。



クスコの街を出発してしばらくの間は、列車はスイッチバックを繰り返しながら、すり鉢上の盆地を上っていく。おお、これがスイッチバックか~と、初体験の私はやや興奮気味。スイッチバックといえば、森博嗣の「今はもうない」だよなあ、などと思い出しながら(余談だけど、S&Mシリーズの中では、あの作品が一番好きだ)。ちなみに、隣の欧米人は、「なんで前に進んだと思ったら後ろに進むんだよ、遅いなあ」と文句をたれている・・・



「空中都市」ともよばれるマチュピチュ遺跡。その理由は、遺跡が山の尾根につくられており、地上からはその存在を確認することが困難だから。事実、遺跡の麓のマチュピチュ村からバスで山を登っていくも、あたりには遺跡の気配は全くない。公園入り口に到着して、細い通路を抜けると、突如目の前に巨大な遺跡が広がる。本当に、突然。見張り小屋、神殿、居住区、農耕地・・・と小さな街としての全ての機能をそなえた遺跡をみていると、とてもここが高度2800メートルという場所にあるなんて、信じられない。インカ帝国には太陽信仰があったため、太陽により近づくためにこんな場所に街をつくった、というのがマチュピチュ建設の理由、と考えられている。



さて、マチュピチュの向かいにあるのがワイナピチュ。ガイドブックにあるマチュピチュの写真は大概が以下のようなものだと思うけど、その中央、遺跡の向かいに聳え立っているのがそれ。このワイナピチュ、1日500人限定で(人数制限をするのは遺跡の保全のためらしい)登山することができる。目前に見るとかなりの圧迫感があるけど、実際にはマチュピチュとの高度さは250メートル。およそ1時間ほどで頂上に到達できるらしい。


というわけで早速登ってみる。なだらかな上り坂をゆっくりと歩いて・・・と思っていたのは最初のほんの数分のこと。登山、というよりはもはや岩の階段登り。いや、それどころか、岩と岩の間に張られたロープをつたって、岩をよじ登らなければならない場所もあり・・・これはかなりキツい。途中で出会った日本人から、軍手を分けてもらって、随分助かる。ロープと岩をがしがしと掴んでいくので、手を保護するものが無いままだったら、もっとペースは落ちていたに違いない。



黙々と登ること1時間弱。急な岩の階段を登り、頂上に出ると、目前にマチュピチュ遺跡の全景が一気にひらける。


絶景!こうしてみると、マチュピチュが「空中都市」と呼ばれるのも納得だ。マチュピチュとワイナピチュ、二つの峰の尾根にそって街が造られており、これではどうがんばっても地上から街を発見することはできない。唯一、空から眺めたときにだけ姿を表す太古の都市。そういえば、ファイナルファンタジーには「飛空艇でしかアクセスできない街」がでてきてたけど、まさかリアルにそんな街が存在したとは・・・

2008-02-12

経済は感情で動いている

たまには(笑)勉強の話など。

今学期とっている授業の一つで面白いのが、Behavioral Finance。日本語では「行動ファイナンス」とか「行動経済学」などと訳されている。2002年、日本が田中さん小柴さんのノーベル賞受賞で盛り上がっていたその裏で、アメリカの経済学者ダニエル・カーネマンがノーベル経済学賞を受賞したのがこのテーマ。

経済学やファイナンス理論の中では、人間は「合理的」に行動する、と考えられてきた。ここでいう「合理的な人間」は、例えば配当率がおよそ50%しかない宝くじを買ったり(回収された金額のうちおよそ半分しか購入者には還元されない、ということです)、株価収益率を計算せずに「この会社の製品が好きだから☆」という理由で株を買ったり、流行を気にして服をかったり、そういうことはしない。常に得られる期待値やwilling to payやmarginal utility(限界効用)を考えて行動する。

・・・・いや、そんな人間どこにもいないじゃん。というのが行動ファイナンスのとっかかり。人は必ずしも経済合理的に行動するわけじゃない。感情や直感やそのときの気分でモノを買ったり売ったり投資したりする。そうした、人のココロの動きに注目して、経済やファイナンスを見直してみましょう、というのがこの行動ファイナンスのテーマ、だ。



じゃあ具体的に、どんな事例があるのか。

例えば、以下のような二つの選択肢が与えられたとき、アナタはどちらを選ぶだろうか?

a)80万円を確実にもらえる
b)100万円もらえるが、10%の確率でもらえない

では次に、以下の二つだったらどうだろう。

a)80万円を絶対に相手にあげなければならない
b)100万円を相手にあげなければならないが、10%の確率であげなくてもよい

「合理的」に考えた場合の正解は、最初がbで次がaだ。最初の問題の場合、(a)を選んだ場合の期待値は80万円なのに対して、(b)は100万円×90%で90万円。なのでbの方がもらえる金額の期待値は高い。次の問題も同様に考えて、(a)の場合の損失期待値は80万円だけど(b)は90万円。なので、より損失を少なくするためには、(a)を選ぶのが合理的。

でもこの質問をすると、大半の人は(a)-(b)という正解と逆の組み合わせを選ぶ。何故か?

(a)-(b)を選んだ人が心の中で考えたのは「お金をもらえるなら期待値は低くても確実に貰いたいし(つまり、リスクを避けたい)、可能性が低くとも”お金を失わなくてもすむ可能性”を追求した(つまり、リスクを積極的に取りたい)」ということじゃないだろうか。「合理的」な人間にとっては利得か損失かでリスクに対する感応度が変わったりはしないけど、実は人間は利得に関してはリスク回避的(なるべく安全側をとりたい)で、損失に関してはリスク追求的(低い可能性にかける)なのだ。

株式投資で重要な一つの要素である「損切り」(保有していた株価が下がった場合に、なるべく損失の少ない段階でさっさと株を売ってしまうこと)のタイミングが難しいといわれるのは、この「損失に対してはリスク追求的」な人の心理が働いているから、といわれている。「もしかしたらもう一度株価が上がるかも・・」という低い可能性にかけてしまうわけですね。



あるいは、こんな実験もある。

「50%の確率で100万円もらえるが、50%の確率で100万円失う」という賭けがあった場合、あなたはその賭けにのりますか?

この賭けの期待値は50%×100万円+50%×(-100万円)=0円。期待値が0だということは、この賭けはアナタにとって損でも得でもないはずだけど、多くの人はこの賭けを「損だ」と感じるんじゃないだろうか。何故か?実は、人間にとって、「100万円をもらえる喜び」と「100万円を失う悲しみ」は、同じではない。金額は同じ100万円でも、失ったときの悲しみは貰ったときの喜びよりもずっと大きいのだ。モノの種類にもよるけれど、「失う悲しみ」は「得る喜び」の2倍~10倍に相当するらしい。1000円拾ったときの喜びよりも、1000円を落としたときのショックの方が、ずっと大きいのだ。

とまあ、そういった「合理的判断では説明がつかない人の行動」を説明しようとするのが、この行動ファイナンスという学問なのだ。そういう意味で、扱う題材は経済学でありファイナンスだけど、かなり心理学的な要素も大きい分野ではある。

それにしても、「失う悲しみは得る喜びの数倍大きい」なんて、経済活動だけに限らず、日常のさまざまな出来事全てに応用できる理論じゃないですか、ねえ?

60人は多すぎる

まして外国人ともなればなおさらだ。

・・・とちょっと「9マイルは遠すぎる」の冒頭のパクりではじめてみたり。何のことかというと、Japan Trip。HBSとかUCLAとかWhartonとかその他いくつかの学校では既に恒例になっている、日本人学生が外人を引き連れて日本を訪れる、いわばビジネススクール版修学旅行ともいうべきJapan Trip。うちの学校ではなぜかこれまで一度も実施したことがなかったのだけど、今年になってついに初のJapan Tripを実施することに決定。そもそも1学年240人しかいない小さい学校だし、今年初めてだし、maxで30人も来ればいいとこだろう・・・・と思っていたのだけど、蓋をあけてみると参加者はなんと60人。正直、びびった。が、びびっていてもしかたないので、日本人7人で試行錯誤しながら準備中。どうなることやら。

日程は3月22日~3月29日。京都→有馬温泉(私のチョイスだ、渋いだろう!)→トヨタ→東京、というルートです。というわけでこの時期日本に戻りますが、なにせ自己主張の強い皆さんの引率なので、どこまで自分の時間がとれるのやら。まあでも、大阪で前泊1泊、東京で後泊2泊の予定なので、時間があえば是非お茶でもしましょう>みなさま

しかし、予定ルートの中には、実は私も体験したことのないものもあって、それはちょと楽しみだったり。屋形船とか舞妓のお座敷とか、私だって初体験だ・・・・

あ、そうそう、京都、大阪、東京でオススメの場所(見所、レストラン、等々)があれば是非おしえてくださいな。とりあえず大阪はやはり、ペリーのいくら丼に連れて行くべきか・・・・(でもイクラって人によって好き嫌いが激しいんだよなあ)

2008-02-11

おっかしいなあ・・・・

なんで私はこんなところにいるんでしょうね・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いやもう、これには手を出さずに留学生活2年間を終えることができると思ってたんだけどね・・・・なんか気がついたらオークランドの空港にいる自分を発見。おっかしいなあ、なんで私、こんなところにいるんだろうなあ。

セスナに乗ったのは初めてではないですが、それでも「基本的に自分で操縦する」心持ちでのるのは、これまでのお客さんフライトとは随分違っていろいろ感動した。とりあえず、グライダー乗りの私は「ノーズを上げてパワーを入れると高度が獲得できる」のに感動した!最初から動力機にのってる人には「何当たり前のこと言ってるの?」と言われそうだけど。「あ、ちょっと前方に山あるから、3000フィートまで上げてね。パワー入れて、機種を上げて」で上がるんだよ・・・サーマルなくても山越えれるんだよ・・・エンジンってすごいね・・・・(しかし習性で、プラスを感じると咄嗟にバンクを入れそうになるということが何度も・・・・)

空を飛ぶのは慣れているけど、よく考えたら「自分が住んでいる街」の上を飛んだことはなかったりして。木曽川?ああ、確かに一時期「住人」とか「表札オマエの名前に変えとけ」とか言われてたけどね。あんなの「我が家」じゃないやい!で、今回はオークランドの空港から出発して、ベイを渡ってサンフランシスコの上空を通過して上からゴールデンゲートブリッジ眺めて、ノースベイからBerkeleyに戻って最後に上空から自分の家を確認。普段地上から見ている景色が上空からくっきりと見えるというそのことに、なんかもう、感動。

上空での操作は、パワーの扱いに最初はとまどったものの、まあそれなりに。そもそも高気圧接近中の超好天気、超静穏だったしね。ただ、「ひげ」がついてないので、滑ってるのかどうかの感覚がまったくわからず。ボールゲージなんて見ないし・・・体感で滑りがわかるほど上級者じゃないんですよ。

そんな感じで本日は1時間ほど。ああ、ついにここにまで足をつっこんでしまったか・・・と、自嘲半分、楽しみが半分。いや、自嘲は自分への言い訳かな・・・・正直言うと、かなりわくわくしてたりするのですよ。残り4ヶ月弱、さて、どこまでいけるやら。

2008-02-08

Happy New Year!

投稿日時を間違えたのでもなんでもありません。本日はChinese New Year、日本語で言うところの旧正月。うちには韓国人とChinese Americanのルームメイトがいるので、朝一番の挨拶はとりあえずHappy New Year!。とはいうものの、特別な行事はなし。SFのチャイナタウンあたりにいくと、いろいろイベントをやっているようですが。知らなかったけど、韓国でも旧正月は1月1日より盛大に祝われていて、旧正月の前後を挟んで国民の祝日が設定されているらしい。日本も、かつては旧暦を使っていた筈なのに、なんで旧正月がすっかり過去のものとなったんだろう?

Netflixをためしてみました

今さら感はありますが、NetFlixの会員になってみました。

NetFlixとはオンラインDVDのレンタルサービス。Webページ上で見たいDVDをリスト登録しておくと、郵送でそのDVDが送られてくる。見終わったら、同封の封筒に入れてポストに投函。返却した本数分だけ、リストに登録済みの新しいDVDがまた郵送されてくる、という仕組み。

料金システムが面白い。料金は月ベースの定額制で、延滞料金はなし。例えば、月額16ドル払うと、手元に3本のDVDをキープしておける。で、最初に3本送られてきて、例えば2本は見終わったけど1本はまだ・・・・というときは、その残りの1本は手元にキープしておいても問題なし。たとえ1年持ち続けていても、延滞料金は発生しない。その代わり、「手元に持っておけるDVDは3本」なので、新しく借りれるDVDは2本が限度。

一見、「じゃあずっと借りたまま返さない人がいたらどうするんだ!」と思いますが、借りたまま返さなければ新しいビデオは借りれない→でも料金は定額制なので毎月聴取される、という仕組みで、結果としてはNetFlixにはきちんと収益が入ってきているという。従来のレンタルビデオの収益モデルの発想を逆転させた、なかなか面白い仕組みです。

けれど複数本のビデオを郵送するんだから、郵送コストがかかるよな(行きも帰りも郵送コストはNetFlixが負担)、頻繁に借りられたらその分のコストが・・・と思っていたら、実際に送られてきたDVDを見てびっくり



薄い!!

最初は普通にダイレクトメールかと思いました。封筒、ぺらぺらです。



ということは予想どおり、中に入っているDVDは剥き身のまま。ちなみに、送付先住所(うちの住所ね)の書かれた一番上の赤い用紙をぺらりとめくると、その下には返却先の住所が。発送用封筒がそのまま返送用封筒になっていて、ここでも重量とコストを削減。

DVDはケースにいれて、さらにそのケースを緩衝材入りのビニールケースにいれて・・・・というレンタルのイメージしかなかった私は、てっきりこちらでもきちんとケースに入って梱包されたDVDが来るもんだと思ってました。しかしなるほど、この方法ならそりゃ郵送コストはほとんど問題にならないわ。

こんな剥き身のままで送付してたら、劣化も激しいだろうし傷もつくだろうし、その分ロスが大きいんじゃないかなあ、と思ったけど、簡易包装でDVDがダメになる分と郵送コストを天秤にかけると、後者の方が圧倒的に大きいんだろうね。

日本でも同じようなサービスがあるみたいだけど(http://www.at-r.net/dvd/)、料金はやや高め(NetFlixの一番安いプランは、1回に1枚しか借りれないプランで、それだと月5ドル)。しかも延滞料金をとるところもあるみたい。発送方法はどうやってるんだろうか。NetFlixみたいに普通郵便使ってDVD剥き身で送ってきたり・・・はしないのかなあ、さすがに。

2008-02-01

【南米 その1】旅の始まり、異国の匂い

冷蔵庫の中の食材を片付ける。保存可能なものは冷凍して、冷凍できないものは捨てるか、メモをつけてルームメイトに託す。最後に残った部屋のゴミを片して、普段はDrive wayに止めている車をガレージに入れたら、準備完了。後に家に人が残っているというのは、出発を随分気楽にするなあ、としみじみ。残った時間で買ったばかりのiPodにひたすらmp3と動画を詰め込む。なにせ5週間の長旅だ。「夏のパタゴニアはなかなか日が沈まないからね、ぶっちゃけ、夜は相当暇よ」とは、同じルートを去年旅した友人の話。文庫本も数冊詰め込んだけど、なるべく荷物は増やしたくない。頼りにするのはNintendo DSとiPod。早朝7時、Oakland発、LA、Lima経由のクスコ行き。乗り換え時間を含めてほぼ丸1日。いよいよ、旅の始まり。



経由地のLimaではLost Bagageが発覚。どうやら荷物のコンテナごとLAの空港に置き忘れてきたらしく、50人ほどの乗客の荷物が全て未到着。1時間あまり荷物を待ち続けた挙句、Bagage Claimの係員が突然何かを大声で伝えたり、それで乗客が一斉にカウンターに列を作ったり(Lost Bagageの書類を書くためだったらしい)、係員がパスポートを集め始めたり、と、突然発生した混乱状態の中、話される言語は全てスペイン語。通常なら英語とスペイン語の二ヶ国語でアナウンスがあるはずなのに。仕方ないので、スペイン語を理解しているらしい欧米人に尋ね、ようやく状況を掴む。到着早々のトラブル、これが南米の入り口での洗礼かあ、とそれでも微妙に心に余裕があるのは、5週間という長旅だから。ま、1日2日の遅れであれば、調整できるってもんです。



高度3800メートルにあるクスコは、その周囲をさらに高い山々で囲まれたすり鉢状の盆地の底に位置している。ぐるりと囲まれた山を見ていると、とてもそんな高地に位置しているとは思えない。その高度を思い知らされるのは、ほぼ全ての道が坂道となっている市街を歩いたとき。高山病予防の薬を飲んでいても、普段の半分ぐらいの速度でゆっくりと歩いても、少し歩くだけでたちまち息が切れる。歩いては休み、歩いては休み、を繰り返す。薬のおかげか、頭痛や吐き気といった高山病の症状が出ていないのが幸い。



数多のコロニアル都市と同様、クスコの街は中心におかれたアルマス広場とそこから放射状に伸びる道路からできている。いくつかの大通りを除いて、多くの道はとても狭い。そして、世界遺産である町並みを保存するためか、それらの通りの多くは昔ながらの石畳のまま残されている。細い道を両側から挟むのは、インカ時代に作られた石垣。研磨した石と石を、カミソリ1枚すら通らないほどの精度でピタリと合わせられている。見ているだけで息が詰まりそうな、そんな圧迫感すら覚えるほどの。日の光のある日中ですら、この道はいつのまにかどこか異次元に通じているのでは・・・とそんな気分になってくる。



中央市場の賑わいは世界共通。野菜、果物、肉、魚、そしてこまごまとした日曜用品。旅の途中の私が買えるものは少ないけれど、さまざまな匂いがまじりあった市場の中を歩いていると、それだけで心が浮き立ってくる。ああ、異国に来たんだなあ、ということを肌で実感する瞬間。

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旅の前半の写真はこちらでどうぞ。
http://picasaweb.google.com/torizou/SouthAmericaBestPart1

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