ネットサーフィンしながら晩御飯食べてたら突然の地震。がたがたっ、どかん!って感じで数秒揺れてそれでおしまいという短いものだったのだけど、こ、怖かった・・・。
ネットで調べたら、どうやら震源はBerkeleyらしい。しかも、「Distance from」から推察するに、私の住んでいるところに限りなく近い感じがする。ううっ、いやだ、私震源の真上に住んでるんですか・・(涙
http://quake.wr.usgs.gov/recenteqs/Quakes/nc51177042.html
恐怖感を紛らわすために友人に「怖かったよー」メッセンジャーを送りまくる。しかしいつものことだけど、地震って人によって本当に反応が違う。同じくらいびびってるひととか、なんか全然平気な人とか。私はだめ。雷とか台風とかは平気なのに、もう、地震は全然だめ。揺れが収まったあとも、しばらくの間は「次がくるんじゃないか」ってずっと怯えてるぐらい、だめ。
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さて、渡辺千賀さんが「イジメを減らすにはイジメられっ子側を特訓すべきではないか」というエントリーを書いていて、個人的にはなるほどなるほどと深く同意したのだけど、はてなブックマークのコメントをみてたら「こんなことでイジメを減らすのは難しい」とか「ふーん」とか、意外と反応が良くなくてちょっと驚いた(あ、勿論、同意のコメントも沢山あるのだけど)。
確かに、これで全てのイジメに関する問題が解決するわけじゃないけど、そもそも全てのイジメを一気に解決できる方法なんてありえない。その人のパーソナリティとか、イジメられている原因とか、シチュエーションとかによって、対応策は変わってくるはず。そうすると、イジメを減らすためにできることって「こんな方法もある」「こんな方法もある」という具体的にとれる策をなるべく沢山共有することなんじゃないかなあ。その意味で上のエントリに書かれている手法はとても具体的だし、イジメられている子供のうちの何人かはこれで助けられる可能性が十分にある。
ちなみに、私も小学生の頃、かるーくイジメられていたことがありました。といっても上に書かれているのに比べたら全然軽度の、女の子に良くありがちな「あの子、ちょっと気に入らないよねー」という理由で無視される、というものだったけど。
今からは想像もできないかもしれないけど、小学校低学年の頃の私はおとなしくて(いや、本当だって!)、成績が良くて、先生の言うことはよく聞いて・・・という、ある意味「あの子なんかいいこぶっちゃって、気にいらなーい」といわれる要素をしっかり持っていたのだ、と思う。
一体何がきっかけだったか分からないけど、ある日ふと、今まで普通に喋っていたクラスの女子に話しかけても、さりげなく無視されていることに気がついた。必要なこととか、一言二言会話は続くんだけど、潮がさーっと引いていくみたいに人が目の前から引いていく。え、なになに、何が起こってるの?と状況を把握するまでにしばらく時間がかかったような。
あ、なんか私無視されてる?と思ったものの、「ていうか何で私のこと無視するの!」と反論できるだけの気合は当時に私にはなく。そもそも、何か仕掛けてくるわけでもないから、反論するきっかけもない。なんとかしたいけど、どうしていいのか分からない・・・という状態で鬱々とした日々を送っていた。
休み時間とか、誰も一緒に遊んでくれないものだから、何故か一人でのぼり棒のてっぺんに登ってぼーっとしていたの(当時から高いところが好きだったらしい)。当時の細かい記憶はもうないけど、こちらが話しかけようとしたときに、まるで自分がそこに居ないかのように周りの人が引いてったときの、すーっと背筋が寒くなるような感覚は、今でもしっかり覚えている。存在を無視されるって、時には言葉で罵倒される以上にダメージが大きい。
さて、この状況からどうやって脱出したかというと、実は情けない話だけど、最初のステップは、自力では何もできなかった。無視されている私を見かねたのか、たまたまなのか、同級生の一人が声をかけてくれて、友達になってくれたのだ。
当時のクラスの女子グループといえば、「AちゃんのグループはいいけどBちゃんのグループと仲良くするなんてありえなーい」なんてわけの分からない派閥みたいなものあったりして、小学生は小学生なりに複雑な人間関係を形作っていた。「あいつはA部長派のくせに、B常務と毎晩飲みにいくなんて・・・」なんてささやかれるサラリーマン社会と実に良く似ていたのかもしれない。あ、これ、適当に想像で書いてますけど。
閑話休題。
けれど、私に話しかけてくれた彼女は、その明るさとオモシロさ(関西ではこれはとても重要だ、笑いが取れるかとれないかは、その人の評価に大きく影響する)と天真爛漫さで、そうした派閥の壁を飛び越えてみんなから好かれている、という、実にナイスなポジションをゲットしていた。
その彼女が友達になって、私と話している・・ということで、気がついたら私の「無視タイム」はいつの間にか終わっていた。もしかしたらターゲットが他に移っただけかもしれないが。ともあれ、私を無視していたグループのリーダー(と、私が推察していた子)も、そんなこと無かったかのように普通にニコニコと話しかけてくるようになっていた。多分、時間的にもそんなに長い期間ではなかったのだと思う。
さて、そんな風にして幸運にも無視ターゲットから脱出することができたのだけど、それをきっかけに「むむ、これは気をつけなければいけないなあ」と思うようになった。
イジメられる原因はいろいろあると思うけど、実に些細なことがきっかけになっているケースは結構多い。友人同士の会話の中で「なんかあの子のあの言い方、きにいらなーい」とか、本当にそんな程度の。一連の出来事で、自分が「なんかきにいらなーい」と言われる要素を持っていることに気がついた私は、こりゃ、なんとか対策をとっとかなきゃ、この先どこでまたやられるかわからんわ・・・ということを、しっかりと悟った、という次第。
で、私がどうしたかというと、その「ナイスポジション」を獲得している友人と一緒に行動しながら、彼女の行動を観察し、イジメられた私と彼女の違いは何だ?ということを学ぼうとしたのだ。
同じようなことを言っても、Aさんだと好意的に取られて、Bさんだと「なに、あれ、超感じ悪い!」といわれるような状況だってある。口調とか、前後の文脈とか、笑いで自分を落とすとか、そんないろんな要素が絡み合って、実に細かい部分で人の反応って変わってくるんだなあ、ということを、彼女だとかクラスのみんなを見ながら、ちょっとづつ学習した。で、それを自分でも実践してみた。まさにtrial and errorな日々。
とこうして書いてみると、なんだかヤな小学生だな・・と自分でも思うけど、要はこれ、上のblogで千賀さんが書いている「アメリカで、友達とうまく遊べない子に経験させる『社交性トレーニング』」と同じようなことを自分ひとりでやっていたのか・・・ということに、いまさらながら気がついた。トレーニングしてくれる大人はいなかったけれど、身近な「これはロールモデルにできそうだ」という人を選んで、その行動を真似て身に着けていく、という。
一人トレーニングがどこまで功を奏したのかは分からないけど、ともあれその後はイジメられターゲットにされることもなく、無事に学生生活を終えることができた。
私の場合は、自力でイジメから脱出したわけではないので「これがイジメ対策に有効な策!」とは胸を張っていえない。けど、イジメられにくいポジションを確保する、って言う意味では、その後の人生においてそれなりに有効な策だったのではないか、と思っている。
イジメられている自分と、イジメられていない子とは何が違って、自分のどの部分がイジメっ子の「イジメ心」を刺激するのか、どういう風に振舞っていけば生き延びていけるのかを考えることは、万人に通用するものではないかもしれないけど、結構重要なポイントなのでは?
繰り返しになるけど、「これで全てのイジメが解決する!」という万能策は存在しない、と思ってる。じゃあどうすればいいかっていうと、とにかくイジメられっ子が取れる可能性のある具体策をみんなで共有して、それぞれのケースに合わせて一つ一つ潰していく、と。そういう「具体的な経験」が共有できる仕組みとか、もっとあるといいのに。
誰の役に立つかは全く分からないけど、上に挙げたblogを読みながら、自分の経験もどこかで何かの参考になるのでは?と思い、つらつらと書いてみたという次第。
Let bygones be bygones. Life goes on, and so must we!
2006-12-20
Earthquake / 万人に通用する方法なんてない
Posted by torizou at 22:30
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- torizou
- 尼崎に25年。その後横浜→Berkeleyを経て再び東京に。 飛行機(陸上単発)とグライダーの自家用操縦士。投資銀行の中の人。
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