2007-05-28

遠い汽笛

全ての荷物がなくなったアパートの部屋は思っていた以上に広く、静まりかえっていた。たいした家具があったわけじゃない。机と椅子、ベッド、それに本棚。留学生御用達のIKEAで買ったそれらは、よく言えばシンプル、けれどつまるところは大した特徴も持たないモノたちで、強い自己主張をすることもなくひっそりと部屋に収まっていた。なのにそれらが無いだけで、10ヶ月余りを過ごした10ft平方の白い部屋の空気は、まるで知らない部屋のそれのよう。昨日まで自分がそこに暮らしていた痕跡が跡形もなく、一瞬、10ヶ月前にタイムスリップしたような錯覚を覚える。10ヶ月前の夏の夜、何も無い部屋の中で、さて、これからどうなるのだろう、と途方に暮れていたことを思い出す。本当にあれから10ヶ月が経過したんだろうか。もしかすると今までのことは全て幻で、私はやっぱり2006年8月のあの部屋にいて、ここから始まることへの期待と、先の見えない不安を抱えつつ、やけに高く感じる天井を見上げているのかもしれない。遠くの方で響くアムトラックの汽笛が、現実感を狂わせ、まるで夢の中にいるような。

やるべきことは山のようにあって、だから部屋に対する要求は必要最小限のことだった。学校に近くて、安全で静かなエリアで、清潔な部屋であればOK。渡米前からルームメイトとチェックしていた物件を、渡米当日に見学して、その場で決めた。学校からバスまたは自転車で15分ほどの、静かな住宅街。裏庭に面したキッチンの採光がよいところ、アメリカの物件には珍しく4口のガスコンロがあるところも気に入った。洗濯機が屋外ながちょっと不満だったけど、これはこちらの家では珍しいことではない。家賃1500ドルを超える比較的high classの物件であってさえ、ランドリーが共有、というのも珍しくないのだから、専用の洗濯機があるだけでもありがたいというもの。

そこからすぐに学校が始まって、秋学期はめまぐるしく過ぎていった。家が「寝るか、作業するかの場所」なのは、横浜にいたころとあまり変わりないな、と苦笑することしばしば。春学期になってようやく、「暮らしている」という実感がわくようになってきた。具体的に言うと、料理を作ったり、友人を招いてくつろいだり、そうした小さな日常の積み重ねがあってようやく、自分がここに住んでいるということのリアリティを感じるようになってきた。横浜に住んでいたころは、「うち、電子レンジも炊飯器も無いんです」と言っては人に驚かれていたけれど、意外にも料理は結構はまった。作業の結果がダイレクトに結果につながる、という明確さが面白かった。

時々無償に人恋しくなる反面、人と話すこと、関わること全てが億劫になり、全ての情報をシャットアウトして自分だけの世界に引き篭もりたくなる、そんな自分の性格を知っていたから、他人と一緒に暮らすということにはやや不安があった、だが、不安は杞憂に終わった。共同生活者として気を使いつつも、深くは鑑賞しない。そんな適度な距離感がよかったのかもしれない。扉越しにうっすらと人の気配を感じながら、台所に立ってコーヒーを入れる。マグカップに入れたそれを静まり返った部屋で飲みながら、こういう時間は悪くないな、と思う。電話の話し声も、テレビから流れる音声もとてもひそやかで、そして遠くからアムトラックの汽笛の音。

一つの季節が終わって、次の季節が始まる。そんなことの繰り返し。あともう少しすれば、私は東京の喧騒の中にいて、この何も無い、静まり返った部屋で過ごした時間を、懐かしく思い出すだろう。その時になって初めて、10ヶ月という時間が過ぎたことを実感するのかもしれない。でもまだ今は、夢の中。遠くの汽笛はまだ止まない。

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