どうしても日本語の本が、それも勉強に関係ない本が読みたくなって、サンフランシスコの紀伊国屋で村上春樹の新刊(文庫版で、って意味ね)「アフターダーク」を調達。単に日本語で文章が読みたいだけなら、ネット上に面白い文章は一杯あるし、青空文庫には岡本綺堂の半七捕物帳(最近はまった)がフルラインナップでそろってるし、インターネットがあれば特に不自由はない。しかも紀伊国屋は高くって、実売価格は大体日本の1.5倍ぐらいだし。でもねえ、たまには紙の本が読みたくなるのだ。休日の午後、カフェでまったりコーヒーを飲みながら本が読みたいのだ。
で、アフターダーク。「アンダーグラウンド」を境に作品の中に現れるようになった「こちら側とあちら側」についての描写がよりストレートに書かれているなあ、という印象。ていうか、全編通してひたすらそのことだけを訴えている気が。平穏な世界の裏側には暴力と悪意に満ちた「あちら側」の世界あって、「こちら側」にいる私たちはその「あちら側」をあたかも他人事のように思っているけど、実はその二つに境目はない。悪意は、ある日突然私たちを「あちら側」に連れ去り、あるいはじわじわと気がつかないうちに「こちら側」に忍び込んでくる。そこに理由はない。「スプートニクの恋人」の中でもこの「あちら側とこちら側」というテーマがあちこちに散見していたけど、アフターダークでは登場人物の口を借りて、ストレートに述べている。こんな風に。
「二つの世界を隔てる壁なんてものは、実際には存在しないのかもしれないぞって。もしあったとしても、はりぼてのぺらぺらの壁かもしれない。ひょいともたれかかったとたんに、突き抜けて向こう側に落っこちてしまうようなものかもしれない。というか、僕ら自身の中にあっち側がすでにこっそりと忍び込んできているのに、そのことに気づいていないだけなのかもしれない」
「私らの立っている地面いうのはね、しっかりしてるように見えて、ちょっと何かがあったら、すとーんと下まで抜けてしまうもんやねん。それでいったん抜けてしもたら、もうおしまい。二度と元には戻れん。あとは、その下の方の薄暗い世界で一人で生きていくしかないねん」
ああ、すごくよくわかるなあ、この感覚。あんまりこういう言い方はしたくないけれど、年を重ねるごとに「自分の知らないところで自分を取り巻く悪意が存在して、気がつかないうちにそれに取り込まれる」恐怖というのが、分かるようになってくる気がする。そういうのって、どうしようもないのだ。怖い、と思っても、手のうちようがない。見慣れたいつもの風景は変わっていないけど、ある時ふと、そこに少しずつ歪みが生じていて、でも自分にはどうしようもない、そんな感じ。
アフターダークはそんな風に「あちら側」の存在と恐怖を丹念に描きながら、けれど「じゃあどうやってその世界に立ち向かっていけばよいか」は描かれない。ラストの夜明けのシーンが一つの希望なのかもしれないけど、でも日が沈めばまた夜がやってくる。「あちら側」の世界に囚われてしまうという恐怖からは逃げられない。ネットの意見なんかを見てると「消化不良」「何が言いたいのか分からない」という意見が結構あったけど、「何かを主張したい」のではなく、ただひたすら「こちら側とあちら側」を描写し、それを読者に見せることがこの本の目的なんじゃないかなあ、と思う。アンダーグラウンドの膨大なインタビューが、ひたすら「突如非日常に巻き込まれた人々の日常」を描き出そうとしたように。
本の裏表紙のあらすじのところでは「新しい小説世界に向かう村上春樹の長編」ってあったけど、村上春樹はいずれ、この「あちら側」の世界にどう対峙していくのか、という答えを書くのだろうか?それとも、「あちら側」の世界に立ち向かっていく術なんてないのだろうか?
余談その1.この話、真夜中の渋谷のデニーズで始まり明け方の東急東横線改札(書いてないけど、日吉に向かう急行列車っていったら東横線だよね?)で終わるのだけど、なんだが東京の、渋谷の風景がやけに懐かしく感じられる。夜明けの渋谷東横線の改札のシーンなんて、朝のざわめきとか発車の合図の音とか、今でもくっきりと覚えている。懐かしいなあ。
余談その2.突如文中に登場するスガシカオの「バクダン・ジュース」。深夜のコンビニで流れている曲、という設定だけど、村上春樹の本で日本の、現代の音楽が登場するのってこれが始めてでは?スガシカオ好きとしてはうれしいけれど、しかし何で「バクダン・ジュース」なんだろう。深夜のコンビニで流れているにしてはかなりマイナーすぎる選曲。何か意味があるのかな?
Let bygones be bygones. Life goes on, and so must we!
2006-11-26
After Dark
Posted by torizou at 21:51
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- torizou
- 尼崎に25年。その後横浜→Berkeleyを経て再び東京に。 飛行機(陸上単発)とグライダーの自家用操縦士。投資銀行の中の人。
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3 comments:
おいらも読んだよ、つい最近。
村上春樹のはこれが読むのが2作目で、
初めて読んだのが「海辺のカフカ」
結構面白いと思ったので(村上春樹が)、
で読んだのがアフターダーク。
読後感は、ただただ呆気にとられて、
ココまでの感想を抱くまでには
至りませんでした。
村上春樹でなにかお勧めがあれば
紹介してください。
ワタシの一押しは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」です。これは全体的に結構評判がいいみたい。あと、小説じゃなくて旅行記になりますが「遠い太鼓」は名作だと思う。
なるほど・・・。
今度早速買って読んでみます。
ありがとう!!
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